「吸収する精神」とは
人間の赤ちゃんが持って生まれた特別な能力の一つに、周囲の環境を何でも吸収する特別な心「吸収する精神」があります。
英語では「Absorbent Mind(アブソーベント・マインド)」、日本語では「吸収する心」などとも呼んでいます。マリア・モンテッソーリの著書のタイトルにもなっている事から、モンテッソーリ自身も、この児童観をとても重要視していたのが分かります。
「周囲の環境を何でも吸収する特別な心」とはつまり、小さな子どもは「特別な働きをする脳」を持っていて、特別に脳が努力しなくても、頑張らなくても、周りの全ての詳細を身に付けさせてくれるという事です。
・0歳~3歳頃までは無意識に
・3歳以降~6歳頃までは意識的に
吸収していくと言われています。これは6歳までのものであり、その後は「推測」したり「理由付け」するといった、別の力が働いていきます。
敏感期との違いは?
小さな子どもが持っている特別な力として、「敏感期」を思い浮かべる方がいるかも知れません。
「敏感期」はある事柄を身に着けるために、環境の中の一定の物に対してのみ感受性が特別敏感になるのに対し、「吸収する精神」は全体をカメラで取るように吸収します。
大きく全体をつかみながら、それでいて小さな詳細まで捉えていく力が、吸収する心にはあるのです。
「吸収する精神」がある理由
なぜ3歳頃までは無意識に吸収する心があるのでしょうか。
その前に赤ちゃんが、真っ白な無の精神状態で産まれて来ることに着目したいと思います。モンテッソーリはこのことを「精神的胎児」と呼び、生後3年間を「心の形成期」だと言いました。
赤ちゃんは生まれた時には、その場所の文化(習慣、食文化、言語、宗教等)を持って生まれて来ません。どの子も「誕生した場所」を吸収する精神によって吸収していきます。その為に、どんな文化にも「適応」する事ができるのです。
小さな子どもの持つ吸収する精神とは、意識的な苦労がなく、生まれたその国、その時代の文化に適応した人間になる為に大切な、ありがたい力なのです。
終わりに
最後にマリア・モンテッソーリの著書より、こんな引用をご紹介したいと思います。
幼児がその精神的発育期間にし遂げることは、奇跡に近いものがあります。わたしたちは、この奇跡が目の前で行われるのを見るのに慣れていますから、それに対して感動しないのです。
たとえば、無から出てきた幼児が、こんなこみいった世界でまごつかないほどに、どうしてなれるのでしょう。物と物とを区別し、教わらずにただ生活するだけで、一つの言語をその細かい規則もいっしょに習得するように、どうしてなれるのでしょう。
これらすべてを、幼児は簡単に楽しく日々暮らしながら、みなしてしまうのに、おとなが新しい環境に慣れるよう言う段になると、どうしてたくさんの援助がいるのでしょう。
新しい言語一つを習得するのに、大人はひどい努力をせねばなりません。それでいて、彼が幼少時に覚えた母語ほどに使いこなせるようには、決してならないのです。
(マリア・モンテッソーリ「幼児の秘密」新装版1刷 国土社 2003年 53頁。)
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