養老孟司先生インタビュー③
子育てで一番大事な事


本企画では、養老孟司先生にお伺いしたお話を、3回に渡ってお届けします。

 

第1話 養老先生とモンテッソーリ教育

第2話 「同じ」と「違い」

第3話 子育てで一番大事な事 (←今回はこちら)

 

養老孟司先生

 

養老孟司先生は、誰しもがその名前を知る著名な研究者であり、ベストセラー作家です。現在も執筆・講演活動、ゾウムシの研究など多岐にわたって幅広くご活躍されています。

 

また、子育てについての著書もご出版され、講演会などでもお話をされていらっしゃいます。

 

今年(2017年)8月8日に東京で行われた「日本モンテッソーリ協会(学会)第50回全国大会」でも、基調講演で「ヒトの心とからだ ~ヒトと動物はどこが違うのか~」についてお話しされ、大好評を博しました。

 

 

最終回は、世界中や日本全国を飛び回り、様々な人間たちや生き物を見ていらっしゃった養老孟司先生に、「子育てで一番大切な事」についてお伺いしました。

 

 

 

無意味なことにつけておく

先生、現代社会で小さな子どもの子育てする上で、一番大切な事は何でしょうか。

 

「とにかく『外に連れて行く』こと。そうすると、無意味な情報がやたら入って来るでしょう?

 

僕は『無意味なものにどれくらいつけておくか』という事が、子育ての根本だと思っています。無意味なものに触れている事が、今の子どもは少な過ぎる。大人がすぐ「意味」を教えてしまう。そうすると、子どもも見える物がそういう風に見えてしまうから。」

 

全てに「意味」があると。

 

「そう!都会ってそうなっているでしょ?無意味なものが一切無いんです。石ころを道路に置いてみなさいよ。『邪魔だ!』ってすぐ片づけられちゃう。

 

情報化社会になって『情報って何なんだろう』って、前から考えていたんです。情報って「意味」に直結するんですよ。要するに『情報に意味がないと捨てちゃう』んですよ。スマホだってそうでしょう?意味が無いと判断すると即、読まない。

 

-「意味の無い物」は「いらない物だ」と子どもが思ってしまうという事ですね。

 

「ヨーロッパでは『子どもの自然欠乏症候群』という言葉があります。石ころ、水たまり、虫が這っている、草が生えている・・・そういう世界に子どもを十分浸してあげないと、知覚がまともに育ってこないんです。無意味な物をもっと見る事が大切なんですよ。」

 

 

 

 

子どもは自然

先生は常々「子どもは大人とは全く違う自然の存在だ」と仰っていますね。

 

「子どもは自然です。大人と違います。子どもが分からない事を、大人は受け入れるしかない。『いずれ分かるようになるよ』っていう事です。僕の子どもの頃は、しょっちゅう言れていました。」

 

「いずれ分かるようになるよ」と?

 

「うん。でも今は絶対言わないと思うよ。今は子どもが分からない事は『大人の説明責任』で『子どもでも分かって当然』だと思ってるから。動物が分かって当然って思うようなものです。僕は猫を飼っているけど、猫を扱っていれば分かるよ。猫にはいくら説明したって分かんないって!(笑)」

 

 

 

「人間と動物が違う」ように「大人と子どもが根本的に違う」ことを分からないという事ですね。

 

「だから『今の人はどうかしてる』と僕は思っている。そうなっちゃった理由は簡単で、ほとんどの大人が自然の物を育てていないから。稲でも何でもさ、自然の物を育てていれば、『子育てと同じ原理でしかできない』と分かるんですよ。毎日毎日見てなきゃいけないし、自分の思うようにいかないし、何か起こったら、自分の責任だから具合の悪い方に行かないように手入れをする。」

 

先生とお話ししていて、自分がいかに「自然」に触れていないか痛感しました。

 

「日本社会には、かなり亀裂が入っていると思う。『自然寄りの人間』と、そうではない、オフィスの中で物を考える『都会型』。何でそうなっちゃったのか分からないけど、政治家も皆そうなっちゃった気がします。『人』ばかり相手にしていると、そうなるんです。忙しいでしょう、人を相手にして生きていると。」

 

(「大人と子どもは違う」)

 

 

 

 

習い事について

– 小さい頃から沢山の習い事をさせる事については、いかがでしょうか。

 

「自分が何とかすれば、子どもも何とかなるって思っている訳でしょう。自然はそうはいきません。肥料を沢山やったらお米が沢山獲れるかって言うと、そうは行きません。『手入れって、まさにそこなんです。様子を見ながらできるだけ、都合の良いようにして行く。微妙に調整して行く。『子どもも自然』だから、同じ事です。」

 

天才にしたいとか

 

「天才は困った人です。大勢人がいるから、やむを得ずできてしまう。わざわざ作る必要無いって。日本てそういう感覚だったから、江戸時代はそれを表現する「奇人」という言葉があったでしょう。『寛政の三奇人』とかって、今でも名前が残っている。

 

『あいつはまあしょうがない。言ってる事が全く間違っている訳でもないし、時代を先行き過ぎている。』とか。天才、天才って、『じゃあ奇人になりたいの?』って。」

 

先生ご自身の幼稚園時代は如何でしたか?

 

「病気がちでほとんど休んでいました。でも文字は一人でさっさと覚えた。だって読みたいじゃないですか。当時は本だって貴重品だったから、読みたくて仕方なかった。欠乏しているっていうのも大事なんですよ。

 

だから野山も大事なんですよ。何にも無いから。だから皆、自分で探す。子どもたちを公園や野山に連れて行くと、楽しそうに遊んでるもの。虫取りって称して、一応目的はあるけどね、結局遊んでます。そうしたら一日つぶれるもの。」

 

 

 

 

まとめ

養老先生による「子育て」のお話

・子どもに一番大切な事は、外に連れていくこと。

・『無意味なものにどれくらいつけておくか』ということが子育ての根本。

・「情報」は「意味」に直結し、意味がないと判断されると捨てられる。

・大人と子どもは違う。

・子どもは自然なので、微妙な手入れと調整が必要。

・子どもは無意味な、自然のある環境で育てた方が良い。

 

 

 

―養老孟司先生から「子育て」について、様々な角度からお話頂きました。

 

3回に渡ってインタビューを掲載してきましたが、養老先生の仰っている事には、モンテッソーリ教育の考え方に通じる事も沢山ありましたし、また新たな角度から日々の子育てや保育を考えるきっかけを頂いたとも思います。

 

養老先生、本当にありがとうございました。

 

(第3話終わり)

 

 

 

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